海に向かって1時間まっすぐ南下。海に出たら右に曲がってまたまっすぐ1時間。苫小牧はいたって簡単だ。本当に1回しか曲がらない。これなら子どもでも間違わないな。しかし苫小牧に着いてから場所がわからなかった。あまり時間もなかったのでコンビニで聞くと、国道を右に折れたボウリング場の中にあると、若めのおばさんが親切に教えてくれた。きちんとそのビルの上にはボウリングのピンがのっていたので、近づくとすぐにわかった。「中央ボウル」はかなり年季の入った大きな建物だ。「シネマトーラス」はこの巨大なボウリング場のお腹あたりに小判鮫のようにへばりついたように存在していた。入口は1階の側面。趣のないアルミのガラスドアを開けるとロビーと呼べなくもない小さな駅の待合いほどのスペース。たくさんの映画のポスターが貼られている。片隅では映画の好きそうな女の人が受付をしていた。私は「太陽がいっぱい」と期待の高まったような声で告げ、(別に告げなくとも今日の上映はもうその1本きりであったが)お金を払ってそのロビーに腰掛けた。棚にはポットにお茶が入っており「ご自由に」と書かれていた。コップでお茶をいただきならがら待っていると、前の映画の上映が終わり、数人の客が客席から出てきた。受付の女の人に「どうぞ」といわれ、中に入った。赤い椅子。40席ほどだろうか。新しくなる前のキノ(昔はイメージガレリオ)とよく似ている。小さなスクリーン、一番前の席に腰掛ける。ふわりとしたクッションが心地良い。手作りの赤い膝掛けが前の隅に置いてあった。ブザーが鳴った。どうやら観客は私ひとりのようだ。もし私が温泉で「太陽がいっぱい」の文字を目にしていなければ、この日のこの回は上映されなかったのだろう。映画が進んで行くにつれ私はこの映画をきちんと観るのは初めてだと気づいた。学生時代にも大阪の名画座で何度か観る機会はあったがそのたびに見逃していたのだろう。私はなんだか不思議な一日を思いながら、1959年のフランス映画、ルネ・クレマン監督のPlein Soleilを堪能した。アラン・ドロンのおそろしいまでの美しさが不思議な一日と共に胸に残った。それがシネマトーラスとの出会いとなった。
2005年3月9日。ひさしぶりにトーラスを訪れた。今日は前から気になっていた井筒和幸監督の「パッチギ」を観に来たのだ。出かけるときシムカップは吹雪模様だったが、苫小牧は晴れていて、風は強いが夕焼けがとても美しい。今日受付にいるのはトーラスの代表堀岡さんだ。「シムカップって?平取より上だったかい?」とか「そうだシムカップといえばアイヌねぎの三升漬け、ありゃあうまいね。そこの市場で売ってンだわ」とか、ティーパックを漬けたままでちょっと苦くなってしまったサービスの紅茶を飲みながら、ロビーで他愛ない話をしているうちに、前の映画が終わった。今日の最終20時の回の観客は私と若い男性のふたりだけらしい。いつもの最前列、赤い椅子に腰掛ける。堀岡さんの「実に良い映画だよ」の言葉通り、「パッチギ」は極めつけだった。ああ、なんと美しく楽しく悲しい青春か。若い俳優もみんないい。葬式の夜、ラジオから流れるイムジン川…。せつないせつない、笑いも涙もとまらなかった。
苫小牧は小さな街だ。街の中心街を行き交う人もけっして多くない。このくらいの都市にありながら、市民の手で運営されている映画館はきっと全国でも珍しいだろう。聞く所によると苫小牧にも近々シネコンがオープンするという。しかし、トーラスの赤い椅子は、きっとこれからも良い夢を見させてくれる。大画面、大音響システムよりも大切なものが、この心地よい小さきスペースには確かにあるのだ。 夜空に向けて王子製紙の煙突から絶え間なくパルプの蒸気があがっている苫小牧を私はあとにした。