急な沢を下りきった所で開けた場所に出た。木材切り出しの土場の跡だろうか。遠くに今越えてきた鬼峠の峰が見える。沢に沿ってあきらかに幅の広い林道を発見。これは地図にある鬼峠のニニウ側の道に間違いない。しばらく進んでいくとニニウ四の橋があり、ペンケニニウ川に沿った林道につきあたった。どうやら鬼峠越えは無事に達成された。ここからニニウの中心部まで、まだ3キロ余りある。1kmほど行ったところで、JRの高い高い高架橋をくぐる。鬼峠トンネルは全長3765m、文字通り鬼峠の真下を貫通してここに出るのだ。今日、私が3時間半かかってたどりついた峠越えを、今列車は5分ほどで易々と通過している。まったくもって人間の技術は素晴らしいが、その便利さを追求してきたしっぺ返しをこれからの時代は受けていく事になる。ちなみに昭和56年に開通したこの鬼峠トンネルは石勝線工事の中でも特に難工事を極め、作業員達は「畜生、鬼め」とうめいたという話だ。
ニニウの中心部には昼前に着いた。唯一の住人後藤さんを訪ね、コーヒーをごちそうになる。周辺では数年前から夕張と清水をつなぐ高速道路の工事が始まっており、時折発破の音が響いている。風景は大きく変わり始めているが、ここで暮らしている人がいて、人間の営みが続けられているのは何とも安らいだ気持ちになる。とんでもない不便な時代にわざわざ鬼峠を越えてニニウを拓き、暮らした人々がいた。そういった人々の想いを後藤さんが引き受けているように思う。これから先、ニニウにたくさんの人が住むという事はまずないだろう。しかしまったく人がいなくなる事もないのではないか。それは、ニニウが人を魅きつける不思議な場所だからだ。ある時「北海道で一番好きな風景は?」と突然聞かれた私は「ニニウの道」と答えた。ほかにもっと雄大な景色にいくらでも出会っているのに、突然の問いに私が答えたのは何と言うことはないニニウの道であった。それは吊り橋を渡ってキャンプ場に行くまでの、ほんの短い曲がった土の道で、夏の夕暮れには蛍が少し舞う。この道は、きっと私の中にある原風景なのだろう。ニニウとはそんな場所だ。
廃屋を数枚スケッチして、ニニウの空気をいっぱいに吸い込んだ後、帰路についた。今度は鵡川沿いの道を上流に向かって歩く。この日、赤岩までの区間は雪崩の恐れのため車輌通行止めとなっていて車は通らないので好都合だ。しかし、道は平坦だが鬼峠の倍近い距離があり、夕暮れ時の雪道を出発点の鬼峠入口まで2時間の道のりだ。朝から歩いているのでそろそろ疲れてきてはいたが、こうして鬼峠を自分の足で越えたことで、ニニウに暮らした昔の人たちと、時空を越えて少し心が通じたような気がして、なんだか足取りは軽かった。 |