「豊平神社の骨董市」(2006.8)

 青空の下で開かれる骨董市が好きだ。市が立つのはたいてい神社かお寺の境内で、春は桜の花びらが盃の中に入り込み、秋には石畳の上で枯葉が小さな竜巻をつくっている。骨董屋にまじって、お漬け物や野菜を売る店、おきまりのお好み焼きたこ焼きイカ焼きも並んで醤油やソースが焼けた香ばしいにおいを遠くまで運んでいる。地べたのブルーシートの上に無造作に並べられた器や雑貨。値段の高そうな立派な絵付けのお皿もあれば、みるからにガラクタのような古い玩具のようなものもある。店主も千差万別で、割にこざっぱりとした几帳面そうな身なりの店主の店は値段は張るが信用がおける品揃え。ちょっとインチキ臭い雰囲気の店主は一々うんちくがうるさいが、適当に聞き流しながら埃だらけの箱の底を探ると驚きの掘り出し物が眠っている。そして値段のやりとりが一番の醍醐味。値札のあるような店はかえってつまらない。客は店の雰囲気を見て店主がその日安くても売ってしまいたいというような、それでいて自分が気に入った一品を手に取り「これおいくら?」と切り出す。店主は店主でお客をさらりと見て、若いか年寄りか骨董に詳しいかただの冷やかしかお金持ちか貧乏か、それでいて仕入れたのはどこで幾らだったか、瞬時に考えを巡らせ「3000円です」とか「100円でいいよ」とか言う。交渉をするうち価値のあるものを安く手に入れられる場合もあれば、随分と気に入ったのにそんなに価値のないものなのかと少しがっかりしてしまうようなこともしばしば。しかし、骨董としての価値よりも自分がその物の形や色や雰囲気から感じる事の方がずっと大切な事だと思う。それらは、自分が子供の頃に家にあった60年代風の色使いであったり、何とも表情が自分の好きな人に似た人形であったりする。つまりその好みには今までの自分の人生が色濃く反映されている。

 私が市へ足を運ぶようになったのは高校生の頃。当時大阪の公立高校へ通っていた私は、IVYと映画とラグビーに熱中する高校生だった。流行りはじめていたミナミやキタの古着屋へ足繁く通い、60?70年代のアメリカ映画や雑誌でしか見たことがないような海外の古着に夢中になっていた。そんな中、大阪市内でハウスマヌカン(懐かしい言い方ですね)をしていた小学校時代からの友人の姉が、毎月21日に行われる四天王寺の市へ行けば古着が安く手に入ると教えてくれた。そしてその友人とある夏の日にその市に行ってすぐに夢中になり、毎月のように通うようになった。ただし当時は古着ばかりを目当てにしており、骨董と呼ばれるようなものの前は素通りしていた。今考えるともったいない事をした。どれでも1着500円というようなどこから拾ってきたか分からないような古着の山の中から、自分の知識と感覚で気に入ったものを探し出す。稀に海外ブランドの良品に巡り会う事もあれば、そのへんのおばちゃんが着ていたカーディガンがなんとも格好良かったりする事もある。実際、四天王寺は京都の東寺など正統派の市とは異なり、通天閣などの大阪のドヤ街に近いこともあり倒産流れや廃品のようなものも多かった。一度はこんな事もあった。前述の友人が「このグローブ俺の持ってたのに似てるわ〜」と言いながら、数ある野球グローブの中から青色のグローブを手に取った。私も色が特徴的だった友人のグローブは良く憶えており、どれどれと一緒に見ていると何とそのグローブには友人のイニシャルが「S.T」としっかり黒マジックで書かれているではないか。「うわ?これ俺のグローブやん!」聞けばもう使わないからと最近廃品回収に出したという。ちなみに聞いてみた「おっちゃんこれなんぼ?」するとそっけなく「それか?千円」と返ってきた。あまりにバカらしいので買いはしなかったが、市の裏側をみたような気がしたものだ。

 北海道には骨董はないと、本州の骨董屋さんに言われたことがある。確かに和人が入り込んでから百数十年ばかりで歴史は浅く、本州のように大きな倉に骨董が無尽蔵に眠っていることは期待できないかも知れない。それでも私から見れば札幌や旭川にはたくさんの骨董屋さんがあり、いわゆる敷居の高いようなお店も少ない庶民的骨董地域だと思われる。本州へ買い付けに行く店主も多く、陶器を中心に民具もたくさん出ているし、アイヌの彫刻をあしらったマキリ(刀)やアイヌ文様を刺繍した着物など北海道ならではの品も見ることができる。骨董市も少ないながら夏には各地で行われている。そんな中で私がよく足を運ぶのは、札幌にある豊平神社で骨董青空市で、4月から11月の毎月第4日曜に立つ。豊平は札幌の下町のようなところで、帽子屋さんや花屋さん銭湯など小さな古い店が多く、神社も国道36号線に面しているのだが、なんとなく懐かしい雰囲気を周辺が醸し出している。規模は本州の市に比べると小振りで店舗数は30くらいだろうか。だが、それだけにアットホームな雰囲気に境内全体が包まれていて、そこここで骨董そっちのけで常連客と店主の話が弾んでいる。この日ははじめて朝早い時間に訪れた。私の住む占冠からは2時間以上はかかるのでなかなか早い時間には到着できないが、この日はたまたま前日に札幌で泊まっていたので早めに出かけてみることにした。ひと通り店を回ったところで、入り口付近の店先の大きなりんごの木箱が目に付いた。中は埃だらけで皿が乱雑に入っている。中の1枚、少し欠けているが洋風な雰囲気のある染め付けの皿が目に付いた。きっと洗えば気に入りそうなその1枚をとりだして、気のよさそうな店主に値段を尋ねた。すると店主は箱の中のは全部いくらでも良いという。そんなわけにもいかないので、1枚100円ということにしてもらって、数枚を購入。これは朝早い特権だろう、次に店の前を通ったときには箱の中はすっかり空になっていた。この日はこのほかに、交渉して3000円が1500円になった大きめの印版手の皿や、1枚300円の織部の小皿を数枚買い求めた。そして、お昼前には境内の片隅に座って小一時間かけてゆっくりとスケッチをした。客や店主が寄ってきては絵をのぞき込み「いいねー」などと声をかけてくる。とても心地良い春の一日だった。

 骨董は縁だといつも思う。私が市で出会った古い器は、おそらく私が生まれる前にどこかで誰かに作られ、売られて丁寧に使われた後、引き取られてここに並んでいるのだろう。同じように見えても1枚1枚違う手書きの皿は筆の走り具合で作った時の気分まで分かるようだ。店主もどこかでその器との縁を結んでいるわけで、店先でその器を通して話すことは器が結んだ縁であるといえる。その縁を家に持ち帰り暮らしの中で使えば、それだけで食卓や人生までもがとても豊かになったような気持ちになる。そして私が死んだあとも、これらの器がまた誰かに使われるように、今はまだ見えない縁を思いながら大切に使おう。

   
 
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