「26年ぶりのアニー・ホール」(2008.5)

 私の手元には2冊の映画ノートがある。映画の題名、監督、主演、観た映画館、観た日、制作年と国を書くだけのシンプルなノートだ。中学生の時に堅い表紙の適当な大学ノートに自分で縦線を足して書き出して以来、30年近くも記録し続けている。日記などあまり続く方ではないがこのノートだけは今でも不思議と続いている。あの映画いつ観たっけ?と疑問が湧くとこのノートをパラパラとめくる。すると、映画の一場面より鮮やかに、その映画を観たときの自分の状況や気持ちが蘇ってくる。特に中学生や高校生の時のそれは格別で、若い無垢な感性が映画によって高揚し研ぎ澄まされていた事を思い出すのだ。その頃は映画を観る前の期待感が大きすぎて、邦題や俳優から勝手に想像して映画のイメージを強く抱いてしまい、実際の映画よりもそのイメージへの感動が強く残っているものもある。こういった映画を大人になってからもう一度観ると全然おもしろくない場合があり、いったいどこに感動したのだろうと不思議に思ったりする。またその逆で若い頃はさっぱりわからなかった映画から、年をとり様々な経験を経たことで深い感動を得られることもある。このノートはもちろん手書きなので、年齢で文字が変わっているのもおもしろい。中学高校時代のしっかりとした大きな文字は、浪人時代にはねじれた感情を表すかのように小さくゆがみ、やがて大人としてのひと癖ふた癖が含まれてくる。この先このノートにはどんな映画がどんな文字で記されていくのだろうか。何気なくつけていたこのノートは、他の人が開いても決して読みとれない「自分史」のような気がして、あらためて映画の数を数えてみると740本もあり驚いた。

 そんな私が一番好きな映画が、1977年のアメリカ映画「アニー・ホール(“AnnieHall“)」である。この映画はニューヨーク・マンハッタンを舞台に、ユダヤ系コメディアンのアルビー・シンガー(ウッディ・アレン)と歌手志望のアニー・ホール(ダイアン・キートン)の出会いから別れまでをコメディタッチでお洒落に描いた恋愛映画だ。劇中でたびたび主人公のアルビーが映画を観ている観客に突然語りかけてきたり、タイムスリップして子供の頃の自分の家族パーティに潜入するなど、さまざまな仕掛けをちりばめた夢物語のような映画であるが、当時私生活でも恋人同志だったアレンとキートン2人の自然な感情のやりとりや、アレンが実生活で社会に対して感じているコンプレックスを正直に吐露することでリアリズムが醸し出され、奇跡的にバランスのとれた切ない恋愛映画に仕上がっている。

 映画ノートによると、私が「アニー・ホール」をはじめて観たのは、高校1年の春、生まれ育った大阪の百貨店のイベントホールとなっている。当時たしかこの百貨店はウッディ・アレンをメインビジュアルとした広告キャンペーンを展開しており、数本のアレンの映画をフイルムフェスティバルとして一挙上映していたのだ。恋愛経験のひとつもない高校1年生に、男女の気持ちの綾がどこまで理解できたのかはわからないが、アルビーの着ていたグレーに赤のアーガイルベストや、二人が初めて会ったテニスコートの帰りアニーが身につけているマニッシュなファッション、幌のワーゲンに食べかけのサンドウィッチなど、ストーリーよりもその映画自体のセンスにしびれたのを覚えている。その直後、深夜にテレビで放映された「日本語吹替版のアニー・ホール」の録画に成功した私は、夜な夜なひとりで家の居間のコタツに座り、友人のお姉さんのロンドン土産であるアールグレイティーを飲みながら自分でピザトーストを作ったりして、何度も何度も何度も何度も飽きることなくこの映画を観たものだ。それは、当時若者の誰もが抱いていたアメリカやニューヨークへの憧れだったのだろう。

 22歳で北海道へ渡ってきてからも私の映画館通いは続いた。私の住む占冠村はたしかに気軽に映画館に通える環境ではなかったが、その気になれば札幌、旭川、帯広とどこへ行くのも2時間で、映画館もよりどりみどりなのだ。近年のシネコンの台頭で道内の映画館はガラッと変わってしまった。主要な街には必ずあった大きな空間を持つ劇場型のホールはほとんどが姿を消し、スタジアム形式とかいうやたらと急斜面に座席があり目の前にスクリーンをつきつけられるような劇場ばかりになってしまった。ミニシアターも数カ所がんばってはいるが、以前は小さな劇場が得意としていたマイナーだが質の良い小品的映画にもシネコンが触手を伸ばしていて、苦難の時代が続いている。私が現在もっとも足繁く通っている映画館が札幌にある「蠍座(さそりざ)」だ。蠍座はロードショーの終わった比較的新しい映画から、古い世界の名画までを低料金でかける個人経営の所謂名画座で、札幌駅の北口から徒歩数分の場所にある。駅に近いとはいえ周りには商業施設がほとんどないので、たまたま通りかかって映画を観るというような人はいない。プログラムに並んでいる映画は1本1本すべて映画館主が自分で観て「おもしろい」「すばらしい」「興味深い」と吟味されたラインナップ。映画を野菜に例えるならば、シネコン型映画館は大手チェーンのスーパーと同じで本社が仕入れた野菜が自動的に店に並ぶだけ。どういう野菜を置くかはすべて売れるかどうかを基準にデータや価格によって決められるのだ。それに比べて蠍座を例えるなら頑固おやじの八百屋だろう。店のおやじが吟味して良い野菜だけを仕入れて並べている。もちろん売れなければ店はやっていけないが、「あまり売れないけれどおいしい野菜」も少しだけ仕入れるし、「アクが強いけどたまには食べたい野菜」もきちんと並んでいるのだ。こんな八百屋が書いた野菜の解説がおもしろくないわけがない。時に興奮気味に若手への期待を語り、時に映画界への苦言も呈し、時に時勢を鋭く斬る。そんな映画評を読んでいるとついつい無理に時間を作ってでも、足を運びたくなってしまうのだ。そして何より好きなのが、愛想がよいとは決して言えない館主のブレない経営者感覚だ。映画館で飲み物が高いのは暴利とビールなども通常の料金で販売したり、時間ぎりぎりと思って走って入った客に予告編を長々と観せるのはおかしいと工夫したり、現場のさまざまな疑問を解決してファンを確実に増やしている。それでいて映画2本で1200円という安い料金を実現。このほかにも落ち着いたロビーや挽きたてのコーヒーなど魅力はまだまだある。

 実は、この蠍座の館主田中次郎さんがまだ道内大手の映画会社に勤めているときから、私は田中さんのファンなのだ。もう、かれこれ15年も前になるだろうか。狸小路近くにあるこの映画館は今も健在ではあるが、当時は地下に小さな映画館が5つも入っている特殊な作りだった。今ではこのように同じフロアにいくつものスクリーンがある映画館は珍しくないが、当時としては異例で、しかも今のシネコンようなしゃれた雰囲気ではない。少しかび臭いような地下に階段で降りると、せまいコンクリートむき出しの廊下に雑然と映画館がひしめき合っている。それぞれのスクリーンには名前が付いているものの、どこがどの映画館なのか迷路のようで、一回りしてみないと皆目わからない。映写機の部屋も通路に面していて、熱を逃がすためなのか少し開いた扉からはフイルムの回る音が廊下に響いているという風情だ。値段も1本500〜700円という格安で映画好きの貧乏人を喜ばせてくれていた。そして映画のはしごの合間には同じフロアにあるおばちゃんの立ち喰い月見うどんをすすり、その場でにぎってもらったおにぎりをほおばる。当時、この地下の映画館群の宣伝のために発行していたプログラムに、田中さんはきちんと名前を名乗った上で、さまざまな映画評や独白を書いていた。企業の中にいながら名前を名乗って意見を言うことは珍しい、しかも文章は今と変わらぬ歯に衣着せぬ本音で語られていて、腹をくくって意見を言うとはこういうことなのだと教えられた。例えば映画館内でのマナーについて「映画を観ると言うことは2時間を知らない他人同士が愉快不愉快ひっくるめて同じ時間を共有することで、マナー違反にはまず自らが注意を」と言い放っていた。そして、好きに書かせてくれた経営者に感謝するといった事を最後に通信に書いて退職されたと記憶している。そうか、やめてしまうんだ、とその時はとても残念に思っていたのだ。その後、蠍座の開業を新聞で知ったときは大変うれしかった。

                     

 昨年の暮れ、いつものように蠍座通信が送られてきた。封筒から出して、いつものように予定表を開いたとたん私は飛び上がった。なんと「アニー・ホール」を上映すると書いてあるではないか。「今だけ見られるハリウッドクラッシックス」と題したシリーズの中で7日間だけの上映だ。上映開始まで1ヶ月あまり。普段はあっという間に経ってしまう1ヶ月がこの時ばかりは長く感じられた。そして、とある2月の金曜日、私は実に26年ぶりにスクリーンの「アニー・ホール」と再会した。何度も何度もビデオで見ている映画を、映画館で観たいという感覚は多くのひとには理解してもらえないだろう。それでも、やはり好きな映画は映画館で観たい。ゆったりとしたいすに座り、フイルムから投影される美しい色を愛でながら、ほかの観客と時間を共有して楽しみたい。しかも、欲を言えば好きな映画館で。つまり、この金曜日午後の1時間33分は私にとって人生の至福の時間となった。

   
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