映画ノートによると、私が「アニー・ホール」をはじめて観たのは、高校1年の春、生まれ育った大阪の百貨店のイベントホールとなっている。当時たしかこの百貨店はウッディ・アレンをメインビジュアルとした広告キャンペーンを展開しており、数本のアレンの映画をフイルムフェスティバルとして一挙上映していたのだ。恋愛経験のひとつもない高校1年生に、男女の気持ちの綾がどこまで理解できたのかはわからないが、アルビーの着ていたグレーに赤のアーガイルベストや、二人が初めて会ったテニスコートの帰りアニーが身につけているマニッシュなファッション、幌のワーゲンに食べかけのサンドウィッチなど、ストーリーよりもその映画自体のセンスにしびれたのを覚えている。その直後、深夜にテレビで放映された「日本語吹替版のアニー・ホール」の録画に成功した私は、夜な夜なひとりで家の居間のコタツに座り、友人のお姉さんのロンドン土産であるアールグレイティーを飲みながら自分でピザトーストを作ったりして、何度も何度も何度も何度も飽きることなくこの映画を観たものだ。それは、当時若者の誰もが抱いていたアメリカやニューヨークへの憧れだったのだろう。
22歳で北海道へ渡ってきてからも私の映画館通いは続いた。私の住む占冠村はたしかに気軽に映画館に通える環境ではなかったが、その気になれば札幌、旭川、帯広とどこへ行くのも2時間で、映画館もよりどりみどりなのだ。近年のシネコンの台頭で道内の映画館はガラッと変わってしまった。主要な街には必ずあった大きな空間を持つ劇場型のホールはほとんどが姿を消し、スタジアム形式とかいうやたらと急斜面に座席があり目の前にスクリーンをつきつけられるような劇場ばかりになってしまった。ミニシアターも数カ所がんばってはいるが、以前は小さな劇場が得意としていたマイナーだが質の良い小品的映画にもシネコンが触手を伸ばしていて、苦難の時代が続いている。私が現在もっとも足繁く通っている映画館が札幌にある「蠍座(さそりざ)」だ。蠍座はロードショーの終わった比較的新しい映画から、古い世界の名画までを低料金でかける個人経営の所謂名画座で、札幌駅の北口から徒歩数分の場所にある。駅に近いとはいえ周りには商業施設がほとんどないので、たまたま通りかかって映画を観るというような人はいない。プログラムに並んでいる映画は1本1本すべて映画館主が自分で観て「おもしろい」「すばらしい」「興味深い」と吟味されたラインナップ。映画を野菜に例えるならば、シネコン型映画館は大手チェーンのスーパーと同じで本社が仕入れた野菜が自動的に店に並ぶだけ。どういう野菜を置くかはすべて売れるかどうかを基準にデータや価格によって決められるのだ。それに比べて蠍座を例えるなら頑固おやじの八百屋だろう。店のおやじが吟味して良い野菜だけを仕入れて並べている。もちろん売れなければ店はやっていけないが、「あまり売れないけれどおいしい野菜」も少しだけ仕入れるし、「アクが強いけどたまには食べたい野菜」もきちんと並んでいるのだ。こんな八百屋が書いた野菜の解説がおもしろくないわけがない。時に興奮気味に若手への期待を語り、時に映画界への苦言も呈し、時に時勢を鋭く斬る。そんな映画評を読んでいるとついつい無理に時間を作ってでも、足を運びたくなってしまうのだ。そして何より好きなのが、愛想がよいとは決して言えない館主のブレない経営者感覚だ。映画館で飲み物が高いのは暴利とビールなども通常の料金で販売したり、時間ぎりぎりと思って走って入った客に予告編を長々と観せるのはおかしいと工夫したり、現場のさまざまな疑問を解決してファンを確実に増やしている。それでいて映画2本で1200円という安い料金を実現。このほかにも落ち着いたロビーや挽きたてのコーヒーなど魅力はまだまだある。 |