郵便局を立ち去ろうとした時、「お菊人形はお参りされました?」とこの女性職員が言った。「お菊人形‥ですか。」そういえば、5月に訪れたとき町の入り口にその文字を見たような気がする。「少し下がったところに萬年寺というお寺があるの。そこにお菊人形があるから是非お参りしていってちょうだい。」このお菊人形は万字に住んでいた鈴木永吉さんが大正7年に狸小路で幼い妹菊子に買ってあげたおかっぱ頭のお人形。菊子は毎日この人形で遊んでいたが、不幸にも3歳で病死した。両親は棺の中にこの人形を入れてやるのを悲しみのあまり忘れてしまい、お骨と一緒に仏壇にまつっているうちに髪の毛が伸びだしたと言われている。萬年寺の本堂は閉じられており、横の玄関のフォンを押した。閉まっていたら呼べばお参りできるからとさきほどの女性職員に言われていたからだ。「写真はだめですがお参りはできますよ。」お寺の方は静かに言った。内心どきどきしながらまずは中央のご本尊をお参りし、次に右手に祀ってあるお菊人形の前に進んだ。一目見て本当に驚いた。目に力があり、まるで生きているようなのだ。怖いとかそういった類のものではないが、とにかく長い間顔を見ていられない迫力だ。私は線香をあげしばし手を合わせた。 お菊人形のことは聞いたことがあったし、全国にいくつかあるのだろうとその時は思っていたのだが、この萬年寺のお菊人形こそが全国的に有名なお菊人形なのだと後で知り驚いた。
私はどうして偶然通りかかっただけの万字にこうも強く惹かれたのだろうか。それは、5月末の夕暮れ時と関係があるように思う。夏至に向けてどんどん日が長くなるこの時期の北海道は、いつまでも薄暮が続きなかなか日が暮れない。この長い夕暮れの中で、繁栄の面影をわずかに残しながら朽ちてゆく万字の町は私の心に強く迫ってきた。私が育った大阪の南部には古墳が多いのだが、それは奈良の都から見て大阪方面が二上山越しに日が落ちる方角だからだと父から聞いた事がある。太陽が落ちるということ、それは“死”を意味する。即ち日暮れ時は黄泉の国への扉が開く時間だ。
夕暮れ時の万字の町で、巨大な廃墟となった学校や廃屋や駅のホームが解体されることなく朽ちていく様は、たしかに異様で悲しくなる景色だ。きっと右肩上がりの思考しか持たない現代の日本人には我慢がならないものだろう。しかし、私はこれを恐れるべきではないと思うのだ。町が、学校が、風や雨や雪や草やツタによって徐々に風化していく。長い時間をかけて崩壊し分解されていくその姿は野生動物の自然死にも似て、本来はあたりまえの事なのではないだろうか。開拓時代の廃屋が数多くある村に暮らす私は、人の遺した物が自然に抱かれ還っていくことを受け入れていきたいと思っているのだ。 |