えりもに向かう途中には、そんな海と寄り添って暮らす街、浦河町がある。日高支庁があるせいだろうか、小さな街の規模に似合わないほど中心部は整備されている。しかし一歩裏道にはいると古い港町らしい漁師の風情が感じられる街だ。街の中心の国道も海にほど近い場所を通っていて、信号待ちの交差点で海の方に目をやると坂を下った先に、なんの区切りもなくたくさんの船が見えて驚かせてくれる。また、少し町はずれには海岸線の狭い範囲に道路と線路と民家が混在していて、こんぶを干している民家すれすれを一両きりの列車が通り、民家に住む人は線路を通って隣人を訪ねたりしているのだ。実は私にとってこの浦河はもう10年以上前の20代の頃からのなじみ深い街だ。当時は、毎年春になるとえりもの手前にあるアポイ岳を登るためにこの浦河を通っていた。アポイ岳は標高800メートルほどだが、その独特の地質と海で発生する霧の影響で高山植物が多い花の山だ。しかも積雪が少ないので4月になれば夏の装備で登ることが出来る。夏山シーズンの最初を飾るにはもってこいの山で、春にアポイを仲間と登るのが恒例となっていた。
その日もアポイに向かって友人数名と車を走らせていた。当日はアポイ岳の麓でキャンプをして翌日に登頂を計画していたので、浦河を通りかかったのは午後だった。街に入る少し手前で小さな看板が目に入ってきた。道沿いの低い位置にあるその丸い看板には赤の地に白文字の手書きで「ぱんぱかぱん」と書かれていた。「ぱんぱかぱん」とは小学校の頃誰もが歌ったあのパンのマーチのぱんぱかぱんだろうか。私たちは車をUターンさせて愉快な名前のそのパン屋へ立ち寄ることにした。お店は六角形の民家のような不思議な作り。店の前には広い芝生が広がっていて、大きなゴールデンレトリバーがゆったりと横たわっている。国道沿いなのだがどこか山の上にでも来たような風情だ。店は六角形の店舗部分から奥が長方形に延びていて、なんだか前方後円墳のような形になっている。さらに不思議なことに長方形に延びた先はガラス張りの温室になっているのだ。ここで酵母でも育てているのだろうか?店に入ると定番のあんパン、メロンパン、カレーパン、そしてケーキやラスクなどさまざまなパンが(パン屋だから当然だが)所狭しと並べられている。客が5人も入るとすれ違うのがやっとという小さな店だが、人気があるらしく売り切れの札も目立つ。店主と思われる細身で眼鏡が似合うしゃんとした印象の女性が店と奥の厨房を行ったり来たりしている。小さなレジの周りには日高管内唯一の映画館大黒座や、周辺地域で開かれている写真展の案内、周辺の農家さん製品の情報などがたくさん掲示されていて、このお店がパンを売っているだけではない地域の中心にあるお店だと感じさせてくれた。そして、この時買ったクリームパンはそのあまりのおいしさで、私をすぐさま虜にした。それ以来、「アポイ岳にはぱんぱかぱんのクリームパンがよく似合う」と太宰治の富嶽百景よろしく仲間内ではうそぶかれ、私の周辺では伝説となったのである。 |